第2章 10年前の“駒場会議”

―入試センター試験、是か非か―


  適性検査、共通一次などのその姿を変えてましたけれど前世期中頃より始まり、半世紀の間、大学入学の関門となっているセンター試験の可否について考えてみましょう。

 科学研究補助事業(文部科学省)として2001年〜2003年に実施された『大学生の学力低下と学習意欲低下に関する実証的研究』[1](駒場にある大学入試センターの柳井先生がリーダー)に、私は研究分担者として携わらせていただく機会がありました

 これは上記研究のリーダーであった柳井先生が私に研究分担者として参加してはどうかと誘って下さったからでした。

 このお誘いを受けるよりも少し前、柳井先生ご自身が大阪に所在する私の大学研究室にまで足を運んで下さっていました。このとき、さまざまな意見交換をしたのでしたが、先生のお人柄のすばらしさに深い感銘を受けました。こんなこともあって、私は是非もなくこの研究の研究分担者として参加させていただくことにしました[1]。

 この科学研究費補助事業『大学生の学力低下と学習意欲低下に関する実証的研究』は大学入試センタの先生方8名と東は東北大学、東京大学から西は高知大学、九州大学に至る大学の先生方13名、統計数理研究所の先生1名のメンバーで推進されました。

 私はこの大切な事業の研究メンバーの方々と貴重な意見交換をさせていだきました。以下にこの内容を対話形式で紹介させていただきましょう。

 なお、この対話形式での話の内容については、「技術と倫理」関係の学会で発表したいことを今から約10年前の2003年頃申し出たのでしたが、『大学生の学力低下と学習意欲低下に関する実証的研究』が実施している調査の成果が十分に反映され得る期間が経過するまで待つようにという関係者からのご指示があり、学会発表を控えていました。

 こんな経緯で私の原稿は10年間もの長い間、私の机の引き出しの中で眠っていました。今、目を覚まし、学会の場ではなく本ホームページに登場することになったわけです。
 この10年という長い休眠期間は結果的に次のようなことを私達に教えてくれることになったのではないかと思います。
以上のことなどなどです。


(T)議題1:マーク式テスト是か否か

甲先生の質問

 「20世紀に急速に発達したコンピュータは大きな光とともに、影の部分を多くの分野にもたらせています。教育の分野においても、このことは例外ではありません。教育分野ではマークシートの使用により、採点作業が非常に容易且つ迅速に実行することがコンピュータの高速処理能力によって可能となり、標準偏差、平均値なども一瞬にはじき出されるという利便さが生まれました。

 しかし、その影の部分として、(テレビのクイズ番組のように三者択一、あるいは、五者択一式に正解が準備されているという状況によって)受験生の創造性を失わせ、また未知の混沌とした状況の中から正解(私達の専門分野を含め一般社会では、正解の存在すら保証されていないことが普通。想定外の事態が起こったときに、迅速且つ的確な判断をすることこそが実社会で要求される能力なのでは?・・・)を導き出すという喜びを感じさせる機会を失わせ、結果として学生の学習意欲の低下、創造性の低下を招いてしまっているのではないでしょうか。センター試験を存続させる意義はあるのでしょうか。」

回答


F先生:
 「マークシート方式に象徴されるような、多肢択一形式の出題(試験形式)は学力を測定する手段としては、信頼性(テスト理論の用語)の高いものです。測定目的に照らして良問を集めれば妥当性(同じくテスト理論の用語)の高い問題セットの作成も可能です。

 現代の学生・生徒の学力や意欲の低下の原因は、試験制度や試験形式にのみ帰されるべきではないでしょう。生徒・学生の学習時間の総量が減ったということが、より根本的な原因ですね」

D先生:
 「センター試験がマークシート方式であることと、問題が難しすぎることが、ただちに学習意欲や創造的思考の障害になっているわけではありません。センター試験は、あくまでも高校段階でのアチーブメント(学習達成度)の測定を目指しており、(準備が要らない)アプチチュード(適性)の測定を目指す米国で大学入学のために実施されているSATとは異なります。

 我が国では、ある程度出題内容が予測可能なテストに対して「行き届いた」coaching(予備校などにおける受験指導)がなされる体制が古くから確立しており、センター試験に関しても予備校のみならず高校においても受験準備教育がなされているところがあります。

 この結果、受験生の「センター試験の問題に正答する」能力は上昇する一方、センター試験が競争試験として取り扱われる性格上、試験の難易度は平均点が60点前後に保たざるを得ず、結果的に問題は難化することになります。

 したがって、センター試験に対し、何の準備もない大学教官からみると、問題は極めて難しいものとなり、高等教育の要請する学力をある意味では大幅に超えることになるでしょう。

 端的に言えば、真のアチーブメントから受験技術へ。このことが大学教官側から見れば学力低下という印象につながったことは否定できません。「受験生の負担増を招かない」という理念の下、個別試験で課される記述試験もまたスピードテストと化し、甲先生が指摘した創造性や学習意欲を失わせる方向に機能したことは否定できないと思います。

 一方、文系の場合、センター試験は受験者の学習能力というアプチチュードを測定しているという通念があるために、センター試験による選抜には比較的抵抗が少ないと考えられます。

 しかしセンター試験のための準備が決して創造的なものでないのは事実であり、これが文系も含め、本来高等教育段階で成果を挙げるはずの人材を高等教育から遠ざけている可能性も否定できません・・・。

 センター試験の資格試験化(年間複数回実施、得点等化の実現を含む)が急務でしょう。それとともに、研究者養成を目指す大学にあっては、個別試験の時間を延長し、十分な思考時間を要求するタイプの出題を行うほか、高校段階での成果(自主研究等)を評価するAO入試等を充実させるべきでしょう」


甲先生

 「同じ質問のくり返しになりますが、教育の場において五者択一式のマークシート式テストが存在することが、論理的思考、表現力、関心・意欲、創造性などを大きく失わせる要因なのでは、と私は考えています。
 正解のヒントすら与えられない混沌とした状況の中で時間をかけて正解を導き出させる教育こそ、上記論理的思考等を育てる源泉です。
 マークシートは受験生の力をコンピュータパワーで瞬時に測れるかも知れません。しかし、これこそコンピュータが教育の分野にもたらした大きな、とても大きな“影”の部分ではないでしょうか?・・・」

回答

B先生:
 「マークシート方式に見られる多肢選択形式の問題については、直接知識を問う問題でない限り、論理的思考も必要です。学習指導要領の範囲にある知識を直接たずねるだけでない問題により、未知への挑戦への意欲も増進され得ると思います」

A先生:
 「マークシート方式が学力低下に顕著な影響を与えるのはどのような属性の生徒なのでしょうか、この問題は興味深い問題と思います」

甲先生

 「貴研究会は米国のSATをマークシート式テストの成功例として考え、マークシートテストは適切と考えているのではないでしょうか? しかし、私が直接SATを受験した複数の人達のご意見は、例外なく“SATは全く準備の必要のない試験。我が国のセンター試験とは大きく異なる”ということです。

 因みに私もSATの問題を解いてみましたが、全て、何の準備もなく完全に解くことができました。センター試験に比べ遥かに容易な内容となっています。我が国のセンター試験とは、実施形態等々、かなり趣が異なるのではないでしょうか?」

 全国の大学の先生方が足並みそろえ、同じ時間に同じセリフを読み上げるといった事態。よくよく考えてみると全く異様な不思議な事態ですよね。こんなことを実施している国はほかにあるのでしょうか

回答

A先生:
 「SAT(主に適性を測定)とセンター試験(主に学力を測定)とはまったく違う考えのもとに構想され、実施されています。甲先生の両テストに対する理解は正しいとは思わないです」


甲先生

 「N者択一式テストでは、問題が難しくなり且つ、Nが小さくなると、ランダム解答者(マークシートの解答をランダムに、つまりでたらめに選択する人)との点差が、必然的に小さくなります。SATでは問題が非常に易しいため、ランダム解答との差が大となって、評価法としては妥当と考えられます。センター試験はこの観点からはどうなるのでしょうか?」

回答

A先生:
 「『選択肢の数』はいろいろな条件の下に決まってくるもので、選択肢の数だけを挙げて信頼性を問題にすることはできないと思います。」

F先生:
 「アンケート調査における回答でランダムな回答が生起してるかどうか、また生起しているとしてそれをどのように判定できるか、という問題は興味深い論点ですが、基本的には多変量的な外れ値を検出する問題に帰着します。この点はJ先生がご専門とする分野であるので、J先生の回答に委ねたいですね。」



 J先生よりランダムな回答に対し、懇切な回答がありましたがここではその内容は割愛します。しかし、てこ比(Leverage)に基づいて、ランダムな回答を十分信頼性を高くして取り除くことは一般には難しいことなのではないか?という疑問を甲先生は未だ取り除けていません。


(U)議題2:学生の学習意欲

甲先生

 「まづ学習という言葉について少し考えてみたいですよね。高等学校での学習が生きた知識として身についてるのであれば、科目の何れであるかに関係なく、できる限り学習しておくことが望ましいでしょう。

 例えば、『外国語』を例にとってみると、“読み”、“書き”、“聞く”、“話す”ことが基本的に大切なことであり、進学先の専門分野に無関係のことでしょう。
 しかし、現状では、大学生において必ずしも十分に身についていません。大学教官においてすら、私の知る限り一般に必ずしも十分ではありません。

 私自身英語に関しては、“読み”、“書き”、“聞く”、“話す”ことについては、幸いなことに、大学時代を含め現在にいたるまで、特に不自由を感じたことはありません。しかし、にもかかわらず(センター試験を含めた)大学入試問題の『英語』を受験すれば、非常に低い得点になってしまうでしょう。20点〜30点ぐらいかも知れません(笑)。

 結論として、入試を高い得点で突破するための(受験技術としての)英語の学習には、全く必要性を感じません。勿論、大学入学以前に日常生活に不自由を感じないレベルの“読み”、“書き”、“聞く”、“話す”が学習できるのであれば、これは大いに必要と考えます。ところで貴調査会のおっしゃる“学習”の内容、中身が不明です」

回答

A先生
 「『学習』の定義は、社会(回答者)に広く行き渡っている常識的内容に準拠するものです。」

C先生
 「『効果的に学習、研究をすすめていくために』と言うときの学習は、大学での学習をさしていることは明らかでしょう。『以下のそれぞれをどの程度まで学習しておくことが必要か』と述べて高校での科目名が並んでいれば、その学習とは高校や受験勉強(要するに入学する前)の学習をさしているものと理解できます。

 たとえば、大学で物理の勉強をするのに、漢文は必要のない人もいれば、医学をするのに、生物の知識はかなり必要な人もいます。英語のように、実用性の高い科目は、相当の知識、技能を身に付けてほしいと思っている先生方は多いでしょう。

 なお、この場合の『学習』は、大学のそれぞれの分野における『講義』『実習』『卒論の作成』につながる一連の学習を意味します。1991年の調査によると、全体で最も必要度が高くなっている科目は、『外国語』(90.3%)、つづいて、『国語』(83.6%)、『数学』(69.0%)となって、学部によって、科目の必要度がかなり異なっています。
 また、世界史は、法学部での必要度が86.1%、芸術学部での必要度が74.2%というような結果がでています」

G先生
 「大学における学習とは、新たなものを取得することです。学力低下の原因は少子化にもかかわらず、進学率が上昇しているという事実に起因されるでしょう」


(V) 議題3:大学生が身につけるべき最も大切なスキルはプレゼンテーション能力なのか?

---話し上手か、それとも聞き上手か---


甲先生

 「プレゼンテーションに関わる私の考えを以下に述べましょう。
 私は1年次学生、3年次学生、卒業研究学生、それぞれ6名に対し、情報技術(IT)関係の調査研究をテーマとして与え、Power Pointによるプレゼンテーションをさせています。

 私は1年次学生に対しては、他学生のプレゼンテーションを上手に聞くことを勧める以外、“自分の考えをわかりやすく説明しなさい”などという助言は一切しません。特に1年次学生に対しては、このような形での助言は慎むべきと日頃考えて指導しています。

 非常に苦労しますが、繰り返し、繰り返し、“聞き上手”になることを助言し教育しています。勿論、一年次学生は、例え説明能力が回数を重ねる毎に向上しても、うまく聞く能力は進歩が一般に非常にゆるやかです。

 私の経験では、聞く能力の発達は、こういった辛抱強い助言を繰り返すことによって、3年次後半、卒業研究の4年次において、ようやく認められるようになります。

 話し上手をいくら育てても、聞き上手が育てられなければ、一体、何のためのプレゼンテーション教育かという私の素朴な疑問を理解していただきたいですね。」

回答

F先生
「個人的に甲先生の考えに異議はないです。貴重な指摘です。今後の調査を企画する研究者へこうした意見が出たことを伝達すべきでしょうね」

J先生
 「これまで、『プレゼンテーションを聞く』ことの重要性については、あまり議論したことがありませんでした。『プレゼンテーションを聞く』という指摘は重要に思われます。これは、『授業を熱心に聞く』という項目とも関係がありそうですね。貴重な指摘だ。今後、このような調査をする機会があれば、是非含めねばならないことです」



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 “プレゼンテーション能力も高いがそれ以上に聞く能力がすごい”。これは私が米国の会社で強い印象で経験したことです。
 一方、私は日本全国30大学に及ぶ数多くの大学で教鞭をとりました。そして毎講義10分置きぐらいに学生さんに質問をうながします。しかし大抵の場合、次のようになります。

私: 「質問ありませんか」
学生: 「シーン」
私: 「では、今までのところは理解できましたか?」
学生: 「シーン」
私: 「質問がないということは分かっているということですね」
学生: 「シーン」


 私の講義だけでなく、我が国の多くの大学でみられる傾向ではないでしょうか。いや大学だけではありません。研究会、学会でもこうなっているのではないでしょうか。

 欧米、あるいは中国の大学で教鞭をとった先生方のお話では、講義中の質問が非常に多く、これによって教える側の先生も非常に鍛えられているということです。

 勿論、沢山の例外があるでしょうけれど、全国多くの大学で「プレゼンテーションを高める」ための教育が一週間に一コマ程度実施されているのではないでしょうか。自分の考えをしっかり述べる。これは勿論最も大切なスキルの一つでしょう。企業がプレゼンテーション能力の高い学生を優先的に採用する姿勢をとることは納得できます。自分の考えをしっかり述べてもらわないと企業はどうしようもないことになりますからね。

 しかし、相手の話をよく聞き、内容をしっかり理解しようとする姿勢こそが企業にとって最も大切な姿勢であり、このスキルを高めることに大学はもっともっと努力すべきではないかと思います。

 多くの企業ではユーザからの注文に対しては不明な点は徹底的に質問をし、注文内容を100パーセント理解しておかねばならないでしょう。もし90パーセントの理解で進めればユーザの希望に沿わない不完全な製品を作ってしまい、やり直しという結果につながるでしょう。

 営業マンがオフィスに訪ねてきたとき、彼あるいは彼女は磨きあげられたプレゼンテーション能力で例えば製品のセールスをするでしょう。
 もしあなたが日頃鍛えた質問能力をフルに発揮し、その結果、売り手も買い手も製品についてのお互いの意見を完全に理解し、納得すれば、後程トラブルを起こすといった事態は避けることができるでしょう。



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(W)議題4:学生の勉学態度

甲先生

 「以下にお話しする欧米の状況は、直接私が体験した事実に基づくものではなく、私が交流する何人かの欧米の研究者から聞いた話に過ぎませんが、欧米の大学は 以下のような状況にあると理解しています。

欧米の大学の状況:

 比較的レベルの高い講義内容を60分程度の講義時間で、一日1〜2コマ程度教える。50人以上のクラスは、まず考えられない。学生は一日の残る時間を予習、復習にあてている。学生は
  1. 生活を維持するための奨学金が全額または半額程度与えられている
  2. 授業料公費負担
等の恵まれた環境で、多くの学生が大学の近くに下宿するなどして勉学に専念する。

我が国の大学の状況:

 我が国はこれを裏返したような状況の中に学生が置かれているのではないでしょうか?講義時間が長く、予習・復習をすることが困難。生活費、授業料を捻出するためにアルバイトが必須となる、といった状況にあるのではないでしょうか。
 100人を超すクラスもザラではないのではないでしょうか。なかには数100人を超すクラスもあるのではありませんか。そして、90分という長い講義時間が普通ではないでしょうか。

 このような状況の中で、我が国の大学生はどのようにして実力をつければよいのでしょうか、私は答を知らない。いいえ、生涯答を求めて苦しみ、私を終始悩ませつづけた問題です。

 上記の差は、例えば米国の大学卒業生と我が国の大学卒業生の間に実力の上で歴然とした差を作り出しています。
 米国の大学の卒業生が、学部時代に取得した単位に関わる科目については、比較的長期間生きた知識として、いつでも活用できるのに対し、我が国の大学卒業生の多くは単位取得後、その科目に関わる基本的な知識すら比較的短時間、つまり数週間ないし数ヶ月で消滅させ、半年〜一年後には生きた知識として全く活用できない状況になっています。つまり全く学習しなかったのと同じ状況になっています。

 本務校、および、非常勤講師を勤めた全国多数の国公私立大学、大学院の受講生に質問することによって確かめた事実ですが、学部時代に取得した単位に関わる科目について、非常に基本的な事項についての知識すらほとんどゼロになっています。
 “どうして忘れたのかな?”という私の質問には、殆んどの場合、“一夜漬けの勉強だったので……”、“その後まったく復習していないので”といった返事が返ってきます。驚くべきことです。

 さて先生方は、我が国の大学における“学び方”をどう理解されているでしょうか」

回答

A先生
 「『学び方』についての一般的な情報、データが少ないですね」

B先生
 「国立の医学部医学科では教育費用に対して本人の負担は少なく(他学部と同じとういのが現状)、米国にくらべても負担は少ないのではないでしょうか。実際には医師の子弟等経済的に余裕のある学生も多いが、他学部卒業後自分でたくわえた資金やアルバイトにより生活や学業を支えている学生もいます。在学生の例から判断すると、地方国公立大学では特別裕福でない一般家庭でも複数の子弟を就学させることが可能でしょう」

C先生
 「大学の教育の目標は、さまざまな学問を垣間見て教養を広げることと、その中から自分の興味をもてる分野を探し当てて研究方法を体験的に身につける(それを卒業論文として結実させる)ことにあります。実際には、学生は、自分の教養や研究能力を広げるためというよりは、卒業資格を得るためだけのようになっている場合が多く、非常に残念です。

 これは、教員の力量不足(授業のまずさ)もありますが、学生のほうも享楽的な娯楽がまわりにあふれていて、アルバイトなどにもよって、経済的にも恵まれており、学問に向かう姿勢や価値観が崩れているように感じます。また、大学の大衆化の時代、学術的関心だけに期待するのはむずかしくなっています」

甲先生

 「貴研究会は学生に十分予習、復習の時間が与えられている、あるいは、逆に与えられていない、何れを正しいとお考えでしょうか?」

回答

B先生
 「専門、学年によると思うが、医学部では、必修が多く、講義中心で自習時間が少ない。現在、問題解決学習(Problem Solving Learning)方式により、自習時間を授業時間の中に組み入れつつあります」

A先生
 「行政(当時文部省、現在文部科学省)の文書だったと思うが、講義の単位数の定義で、講義と演習、実験などに分けて、その授業形式がそれぞれ前提とする予習、復習の時間の考え方が決められていた筈です。現在のところ正確な資料はない。どうなったのでしょうか」

C先生
 「時間そのものは与えられていますが、学生は、他の面に興味や時間をさくことが多く、予習や復習にはまわしていません。(これは、我が国では昔からそうであったように思いますが・・・)」

J先生
 「高校生の学習時間については、例えば、教育社会学者が実証データにもとづく議論をしているようです」

G先生
 「大学生は時間はあるが、予習や復習に時間を使うかどうかでしょう。アルバイトやサークル活動に使うという場合が多いと思います」


(X)議題5:学生の学力低下とレポート問題の相関

甲先生

 「“レポート”の存在もまた“マークシート塗りつぶしテスト”と同様、私の半世紀に及ぶ教官生活の中での悩みの一つです。日本の大学においては、レポートの現状を厳しく反省することから始めねばならないとすら考えています。このことについて適切な調査をすべきでしょう。
 貴研究会は大学のレポートに対する学ぶ側、教える側の姿勢をど うとらえていらっしゃいますか」

回答

F先生
 「レポートについて以下のように考えています。たとえば実験実習のレポートを提出させたら、提出させっぱなしではなく、少なくとも一部については、きちんと添削指導をする機会を設けることは、学部での教育プロセスで重要なことです。

 一般教育科目など、多数の受講生が科目で、安易な課題を出すと、他の学生のレポートや出典からの丸写しが生じるので、課題に工夫を加える必要があるが、より細かい指導を行う機会は多数の受講生の場合少なくならざるを得ないという現状があります」

J先生
 「2002年に全国の学生約3万人に実施した調査結果(参考資料6、p.213、付図、2.8.31 p.254、付表2.8.1)によると、『レポートや課題を添削してほしい』という回答が男子80%、女子86%ときわめて高い数字となっています。この結果は、教官がレポートを添削してくれる学生ほど、学習意欲が高まることを意味します。したがって、レポートに関わる調査においては、大学教官がレポート添削をどの程度実施しているかを調べ、学生との差が大きければ、その結果を教官に警告する必要があるでしょう」



♪♪♪♪ コーヒーブレイク ♪♪♪♪


 本年2002年1月20日、日本工学アカデミ、同1月31日米国電気電子学会『社会と技術の関わり』ソサイティ日本支部の講演において、私が配布したレジュメ6ページのうち、レポートに関する部分を以下にご参考のため示します。ご高覧下さい。」

 例1:

大学等教育の場における学生のレポート提出。
学ぶ側、教える側における姿勢。
(上記研究会配布資料より原文のままとさせていただきます)


---以下引用---

 レポートを作成する側において、たとえオリジナル作成者(大学であれば、クラスメート、あるいは、ネットであれば、レポート作成支援業者等々)から“転載許可”あるいは“引用文献”として利用する許可を得たとしても、そのことにレポートの中で、しっかり記述することは著作権問題等の情報倫理の立場から考えて、基本的なことの中でも最も基本的なことです。このことを周知、徹底させる必要があります。

 レポート丸写しというような事態は全国的に見ても、稀なこととは思われます。しかしこのような事態があり、これを万が一にも看過しているのであれば、情報倫理の問題を、その大学で教育することに意味があるのか? という大きな疑問が生じるでしょう。

(以上、原文のまま引用しました)

 「本例1につきましては、出席者の中から、例えば、情報セキュリティに関わるガイドライン、情報倫理に関わる網領等々も、どこかの国のものを直訳という形、ほとんど無断引用という形になっている可能性も100%否定することはできないのではないか? 学生だけの問題ではないのではないか? といったコメントがありました。

 折も折も、2003年2月6日夜9時のNHKニュースで某国立大学の某教授が、自己の論文のうち40%にあたる内容を、大学院学生のレポートから丸写しして、学術論文誌に掲載していたことが報道されました!!あぁ・・・・・」

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(Y)議題6:調査全般と今後の活動

甲先生

 「学生の勉学態度は勿論一般に低下の傾向にありますが、これは教える側の態度にも大きく依存するでしょう。すなわち、教官側において、例えば2003年の今、21世紀サイバー社会(ネットワーク社会)へ急速に移行しようとしている大きな変革の流れを肌で感じ、これを講義の中である程度反映しなければ、学生は付いてこないでしょう。

 教える側が時代の流れを肌で感じ、学生に少しでも将来への明るいつながりを感じさせる講義をするよう努力する姿勢が、学生の勉学態度を問う前に望まれるでしょう。

 貴調査結果が何らかの反省を教える側に与え、この結果、講義内容に改善が加えられるでしょうか? 私はそう期待したいが、残念なことに悲観的にとらえざるを得ません。

 変革の時期を肌でとらえ、学生の勉学態度の低下を肌でとらえた場合、調査結果を待つまでもなく、動く先生は動くでしょう。調査結果を見、それから改善に努力するという姿勢は、決して本物ではありません。

 “肌で感じることは日常のこと、実行は間髪容れず”の精神が本物の教育者でしょう。調査結果を見て、“予想外に悪い……”などと感じてから動くというのは、決して本物の教育者ではないでしょう。

 全国の教官に学習意欲の低下等を自ら肌で感じ、間髪を容れず動いていくことができる環境、しかも動いて効果が出る環境を作ることこそが順序として先のように思われますが、如何でしょうか?

回答

E先生
「質問者は、次の2点において、厳しい批判をしています。
  1.  この調査によってわかることが、現実の厳しい事実というよりも、教師の頭の中にある、しかも、おざなりの反応ではないかな……。
  2.  上記批判点と関連して、この調査によって、何を明らかにし、どのような具体的実行と結び付けようとしているのか判然としないでしょうね」

J先生
 「この2点において、本調査を担当した、代表者および分担者において十分な検討がなされていないという点があることは否定できません。
  •  今回の調査では、焦点が尖鋭化していない反面、大きく網を張って(学習意欲の低下を含めた)学力低下の種々相を捉えている利点はあるでしょう。
  •  学力低下に対する具体的対策案との関連付けにしても、そのような具体案が早々できるわけはなく、また、もし、そのような具体案を念頭に置いた質問項目の場合には、その意図が透けて見えるようになり、必ずしも、大学教官全体の意識を俯瞰することはできないでしょう。
  •  まず、研究の出発点として、このような調査から出発したと理解していただきたいですね。
 今年度の研究としては、分担者の所属する各大学において、過去10数年にわたり学力低下現象が生じているか否かを調べることができればと考えます。

 本調査に回答を寄せられた先生方は概して、本調査の結果について知りたいという希望は強く、11,000人の回答を寄せられた先生方の約3分の1から報告書の送付申し込みがありました。これらの先生方に8月中に調査結果(要約版)をお送りする予定ですが、調査結果を読まれた先生方の反応もぜひ伺いたいですね」


参考文献:
[1]日本学術振興会科学研究,基盤研究B『大学生の学習意欲と学力低下に関する調査結果』(2004-08)

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