第4章 大学生の就職氷河期は
     誰が招いたのか

はじめに

 私は自宅近くにある英会話学校に週一回のペースで通っています。4人が最大という少人数クラスが売り物で、英会話をすることがとても楽しい学校です。

 米国からはるばる日本にやってきて約5年というE先生が、ある日、

 “現在の大学生の就職難の問題は誰の責任ですか。学生さんの責任ですか?(Is this problem student issue?)”

という突然の難しい質問です。それに、issueという英語には適切な日本語がなく、私たち日本人には質問の中身が完全には理解できないのです。

 この日、出席していた生徒の中で大学の先生は私一人でしたので残る二人の生徒さんは私に答えを任せたという態度です。

 私は答を求めて焦るばかりで、時間がどんどん経っていきました。それで

 “すみません。今すぐ答を出すのはとても難しい問題ですね。私の宿題にしてください。”

と申しました。

 帰宅後も私はこの問題を考え続けました。そしてついに肝心の英会話学校もしばらくお休みにして、この問題を真剣に考えてみることにしました!!
 何故ならこの問題は大学生の問題として片づけてしまうのではなく、全ての世代、国民の一人ひとりが考え、まづは自分のできる範囲でこの問題を解決しようという積極的な姿勢が強く望まれるほどの大きな問題であることに気付いたからです。

 もしもこの決心が、今すぐなければ、10年後、20年後には大学の存在自体が危うくなるだけでなく、我国の教育機関がその立場をすっかり見失ってしまうという事態になるのではないでしょうか。

 ここで私が何故このように考えるのか。その根拠をテーマごとに分けて語ってみましょう。

 まづは過去半世紀の歴史を振り返ってみましょう。現状だけを眺めて大学生就職難の問題への“根本的対策”を考えるのではなく、大学がどういう歴史を経験してこうなったかを真剣に考えなければ、将来の正しい方向は、決して見えてこないからです※注1。

 2013年3月現在、アベノミクスとかで、景気が急激に回復しそうです。やがて再び就職氷河期を裏返したような就職天国の時代が到来するかもしれませんね。
 この好景気の再来によって過去何年もの間続いた厳しい状況をすっかり忘れてしまって、本HPの記事も単なる“昔物語”として読まれてしまったら、とても不幸な予想ですが、将来、もっと厳しい就職氷河期が我が国の大学に訪れることになるでしょう。
 このようなことにならないためにも、過去の歴史をしっかり振り返り、そして遠い将来を鳥観し、国に頼らず、人に頼らず、敢育改革委員会の先生方にも頼らず自らができる範囲で行動しましょう!

※注1:
国家的な大問題に対処する際に
 “一々歴史を振り返って考えてみる姿勢、これは国家発展のブレーキとなる姿勢だ”
という内容の意見を見聞することがあります。しかし、その場、その場の間に合わせ的な対応策は結局はブレーキ跡も残さず崖下に転落という結果につながるでしょう。
 このことを考えるために今から20年以上も前に起こった電力会社への歴史的な警告事故、福島原発事故への大きな警告のような事故であったミニ原発事故?をご参照下さい。


就職氷河時代を迎えた企業と学生さん達との関係


 戦中戦前教育の名残で、大学の先生方は(勿論2013年の現在、社会問題となっている体罰などは全くありませんでしたが)非常に厳しく学生に接しました。
 学生さん達はこれに対し従順な姿勢で、黙々と勉学に励んでいました。昭和30年代を大学で過ごした私は、勿論、この姿勢で通しました。

 すみません、突然ですがここで早めの“コーヒーブレイク”とします。


♪♪♪♪コーヒーブレイク♪♪♪♪

印象に残ったT君のお話

 クラスメートのT君の受講姿が今も目に浮かんできます。T君は大学の硬式野球部に所属し、日生球場(プロ野球でも使用されていた大阪市城東区にある球場)でも開催される大学野球リーグ戦で活躍し、あるシーズン、リーグのホームラン王となりました。その彼、私の記憶する限りでは4年間ほとんど無遅刻、無欠席の状況で毎日講義に出席していたと思います。

 当時は当たり前のことと思っていたのでしたが、平成25年の今は、T君の態度は文武両道を貫くすばらしい姿勢であったと思い返されてしまうのです。

♪♪♪♪♪♪♪♪


 現在、たくさんの大学で大きな問題となっている授業中の私語は、私の学生時代、殆どありませんでした。もし仮にあったとすれば先生に注意される前に、

 “おい!講義が始まっているぞ!”

と学生同士で注意し、解決していたと思います。

 この時代、男子生徒は黒の制服、黒の制帽が普通で、私も4年間、この姿で通学しました。大学院に入学すると、一斉に背広姿となります。こうすることによって
 “もはや自分達は学生ではない。大学院生という社会人なのだ”
という意識が芽生えます。



 では皆さんと一緒にこの“胎動期”について考えてみましょう

昭和40年代以降“自由”を求めて


 昭和40年代以降、学生運動が発端となって、学生さん達に“自由な発想”を求める姿勢が強くなりました。

 昭和20〜30年代に見られたように、黒の制服、制帽を着て、従順な姿勢で黙々と学習に励む学生を育てることは、結局は大企業に就職して、そろいの作業着、そろいの白衣を身につけて黙々と働く従順な人間づくりに役立つに過ぎない。
 大学内外からのこういった内容の声に後押しされるかのように、学生さん達は黒の制服、制帽を脱ぎ捨て、学外に出て、“自由な発想”の時間を楽しむようになり、通学に際しても個性に合った自由な服装、ときにはヒッピー姿となって登校し始めたのです。

 勿論このような学生さん達の姿勢はうまくいけば個性豊かな新しい21世紀型産業の創出、新しい文化の創造に結びつく可能性は大いにあったのです。21世紀を30年後ぐらいに迎えようとしていた我が国にとっては、以下に示すような大きなチャンスではあったのです。



 ・・・しかし、この時代に学生さん達を待ち受けていたのはこんな世界ではなく、下の世界、つまり



だったのです。



 昭和40年代半ばころより我が国は右肩上がりの経済発展の道を歩み始めました。企業にとっては求人難の時代の始まり、学生さん達にとっては学外での“自由”をより大きく楽しむことができる時代の始まりです。
 ・・・しかしこのとき誰も気づかなかったことでしたが、今から考えてみると就職氷河期への胎動の始まりでもあったのです。



 就職天国時代であった昭和60年代、私はある大学で一年間就職担当教官の仕事をしていました。私の手帳は、企業の人事の方々とのアポイントメントでびっしり埋め尽くされていました。

 “面談は5〜10分でお願いします。それにご希望に沿うことは現状では無理なことかも知れません・・・”
という私の誠に申し訳ない返事にも拘らず、大学の私の研究室を訪ねて下さった企業人事の方々は数知れず、時に廊下に待ち行列ができるほどでした。

 私を研究室に訪ねて下さる200〜300名という企業人事の方々の数に比べ、就職を希望する学生さんの数は大学院生を含めて50〜60名程度でしたから、人事の方々に十分希望をもっていただけるような対応は最初から無理なことでした。

 こんなある日、ある会社の人事の方との会話を私は今も鮮明に覚えています。

人事の方 「私どもの会社に是非学生さんに来ていただいて活躍していただきたいのですが、無理でしょうか」

私: 「うーん。一応薦めてみますが、何しろ就職希望学生数が少ないので無理かも知れませんね」

人事の方: 「では・・・、先生の身内、あるいはご存知の方で当社に来て下さるような方はいらっしゃらないでしょうか。文学部で語学や哲学を勉強していらっしゃる方でも大歓迎しますが・・・」

私: 「えっ!そんな学生さんを採用されても、技術者として全然役に立たないのではありませんか」

人事の方: 「いや、大歓迎です!」

私: 「(しーん)」

人事の方: 「今年度の採用者リストの中に、A大学卒業生B君というように載せます。A大学のような有名大学だと会社のイメージアップに結びつき、来年度の求人活動に役立てることができるのです。」

 以上のような会話だったと思います。要するに大学卒業生であれば誰でも歓迎というわけですよね。あぁ・・・・。

 企業の方は大抵の場合、10分程の面談の後、ビール券をそっと差し出し、

 “今夜、お時間がありませんか。とてもおいしいお料理を出してくれるお店があるのですよ”
とのお誘いです。ほとんどの場合

 “私はお酒が飲めませんので”

と丁重におことわりすることになるのですが、何十社に一社という割合で、その会社に勤めている私の中高時代あるいは大学時代の友人を伴って面談に来る場合があります。

 親しくしていた友人から

 “おい、たまには仕事を忘れて発散しろよ!”

と強く誘われると、友人の誘いに乗る形で料亭での食事、そして一次会、二次会に夜更けまで接待されることがありました。とにかく先生方とのつながりを作りたいという、企業の姿勢が見え透いていました。(私はこの会社に就職の世話はしませんでした。念のため。勿論これは接待されたから、却って学生にすすめることを遠慮したわけでもありません。)

 ここで少し視点を変えて、私の体験に基づくお話をさせていただきましょう。実はこのお話は生涯、固く封印しておくべき話と考えていました。



就職天国時代の大学と企業の関係
---私自身が体験したその氷山の一角---


 就職天国の時代、企業と大学の先生方との関係は夕食の交際だけにとどまらなかったでしょう。企業が全費用を負担し、数々の景品が準備されていた“接待ゴルフ”もその一つでしょう。かなりの回数の接待ゴルフが、スケールは勿論大きく異なってはいたでしょうけれど、全国到るところで繰り広げられていたのではないでしょうか。

 私が若い頃、助教授時代まで所属していた、工学部D系学科の講師以上の先生方20〜30名を対象とし、かなりのペースで開催される“接待ゴルフ”も全国で繰り広げられていた“接待ゴルフ”のうちのひとつに過ぎなかったでしょう。

 すみません。ここで早めのコーヒーブレイクです。


♪♪♪♪コーヒーブレイク♪♪♪♪

---ゴルフお留守番役のお話---



 私はお酒を飲めなかった上、ゴルフも全くしませんでしたので誘いはありませんでした。接待ゴルフは、何故か授業実施期間中の平日が多かったために、私は、大学院生や助手の先生方から見ると留守番役の助教授に見えたのでしょう。

 私が直接指導している博士課程(ドクターコース)の学生さんが、心配そうな顔をして私の部屋に入ってきて

 “先生もたまにゴルフの付き合いをされてもよいのではないですか”

と声をかけてくれます。



 別なある日、ゴルフよりも研究が大好きで、数々のすばらしい業績を挙げていらっしゃるI先生から電話がかかってきました。

 “すぐ部屋にいらっしゃい”
とのことです。今日はI先生も留守番役。私も留守番役。一体何の用事なんだろうと、いぶかりながらエレベータに乗り、数階下にあるI先生のお部屋を訪ねました。

 I先生は、お相撲さんを思わせる堂々たる巨体、貫録十分で威厳があります。ソファーに深々と座ったまま私を迎え入れてくれましたが、開口一番、

I先生: 「君!ゴルフをやりなさい!」

私: 「えっ!」

I先生: 「ゴルフをやりなさい!」

私: 「私はゴルフよりも水泳が好きなんです。マスターコースに入っています」

I先生: 「水泳みたいなこそくなスポーツ(姑息な?孤独な?いづれかの意味だったと思いますが、うまく聞き取れませんでした)止めなさい!皆と付き合えるゴルフをやりなさい!」

私: 「先生!私は研究が好きです。一日ゴルフをする時間的余裕はありません。それに今日は平日の授業実施日ですし・・・」

I先生: 「私がこんなにゴルフを勧める本当の理由が分からないのだな・・・。」

私: 「・・・分かっています、勿論。先生が私の将来を心配して下さっていること、そしてゴルフを勧めて下さる理由を十分に承知しています」



 まだ、この後延々と先生の大声での“説得”が続きました。最後に先生は

 「思っていたよりも遥かに君は強情だな。まあよい。好きな研究を思いっきりやりなさい。」

こうおっしゃって、日頃の優しい顔に戻り、

 「まあ、お茶でも飲んでいきなさい」

と、お茶をすすめてくれました。

 女性の秘書の方があたたかいお茶をサービスしてくれましたが、女性にとってはらはらするような内容の30分に近い会話に大きなショックを受けたのか、私の顔をちらっとも見ないで、うつむいたままお茶を差し出してくれたのでした。1980年代半ば頃のことだったでしょう。



 私は、(後期高齢者という今でもそうですが)教育・研究大好き人間でしたので、留守の静かな雰囲気もまた楽しからずや、と考えていたのでしたが、それにしても授業実施期間中の平日ゴルフ。それも繰り返し、繰り返しの平日ゴルフ、
 “こんなこと国家公務員として許されるのか!”
と考え始めました。

 やはり若かったのですね。ある日、私は文部科学省(当時文部省)に電話することを決心したのです!以下はその会話です。

私: 「お忙しいところ、申しわけありません。教えていただきたいことがあります。」

文部科学省: 「何のお話でしょう?」

私: 「私どもの大学、国立大学ですが、工学部D系20名前後の先生方が講義実施期間中の平日ゴルフです。許されることなんでしょうか?」

文部科学省: 「休暇願が大学事務で受理されていたら、問題は全くありませんよ」

私: 「いや例え休暇届を出していても、一つの職場で過半数以上が一斉にゴルフというような仕事に無関係なことのために休暇を取ることは、国家公務員には許されていないはずですよ!」

文部科学省: 「中身は企業の接待ゴルフであっても、表看板は産学共同研究会開催後の懇親ゴルフコンペというような形になって、違法性はないように仕組まれているのないですか。」

電話の音: 「がっちゃーん」

私: 「シーン」

♪♪♪♪♪♪♪♪


コーヒーブレイク終わりです。
さあ、次のテーマに入ります。




 我が国の好景気に支えられて20数年という長い、ながーい期間続いた就職天国は企業、学生さんそして先生方の間に下図のような関係を作りました。



※1:学生欲しさの場合だけでは勿論ありません。純粋に“研究支援”を目的のものもあります。その区別は一般には難しいことです。

※2:例えば地方から上京して、数社を二、三日でまわっていることを十分に承知し、各社全てから旅費を重複して受領している実態を知りながら、各社は十分な“旅費”を学生に支援するというのが一般的だったのでは?もし事実であったとすれば、これは学生さんに良い印象をもってもらうためだったでしょう。

 上図に示したような関係が20数年も継続したために、我が国の大学生を取り囲む“生涯生活スタイル”は一般に(あくまで、一般ということです。沢山の例外があることは勿論です)、以下のように認識されていると私は考えています。



※注1:例外もあります。次のコーヒーブレイクでお話を聞いていただければ有難いです


♪♪♪♪コーヒーブレイク♪♪♪♪

―大学生を中心とする日本人のライフスタイルについてのご注意―

 このライフスタイルが全てであるとは私も思ってはいません。沢山の例外の高校生、大学生さんそれに企業があることを私は十分に承知しています。しかし数少ない人達に目がくらんで、現状から目をそらすと益々事態は悪くなるでしょう。私が承知している例外的存在を皆様に紹介しましょう。

 私が数年前に指導したゼミ生のK君。アルバイトを週2日していましたが、全て土,日に集中させていました。月〜金のウィークデーは講義に専念し,4年間に取得した単位数の多さ,そして平均点はクラス100名中のトップでした。大学の近くに下宿して通学時間を節約し,予習,復習のための時間を作るという徹底ぶりでした。

 4年生の春に就職先が内定し,あとは卒業研究に専念し,卒業式前の1月,琵琶湖湖畔に面したホテルで開催された情報セキュリティ関係の我が国における代表的シンポジウム「SCIS2009」に参加し,卒業研究の成果を堂々と発表しました。このシンポジウムでの学部学生の発表は非常に珍しいのです。出席の方々は大学院学生さんの発表と思っていたことでしょう。

 皆様にお読みいただいているこのHPに記述していることはあくまで“一般的に”とうことです。例外は少なくとも10%はあることを私はいつも十分に承知していることを何回も何回も重ねておことわりしたいと思います。

♪♪♪♪♪♪♪♪



 前述に示しましたように企業の学生を見る目は非常に甘く、以下のような姿勢だったといってよいでしょう。


 ---しかしバブル崩壊とともに、
21世紀(サイバー社会、草原の世界)が開幕---




 このバブル崩壊と歩調を合わせるように本格的なサイバー社会が幕あけしました。

 世の中の大学生を見る目は変わったでしょうか。下図に示しますように就職天国時代も就職氷河期時代もほとんど変わらなかったのです。しかし唯一、企業の態度が急変しました。いや企業は急変せざるを得なくなったのです。

参考図:社会の中での大学生


注1 就職天国時代、大学生を大量に採用していた企業。
    いわゆる大企業

 参考図では、就職天国時代、大学生を大量に採用していた企業の態度が急変したとありますね。どうしてでしょう。それは以下のように説明されるでしょう。

  1. 20世紀(森の中での生活)の企業は以下のようだったと言えるでしょう。

    • 100万人企業が1万人企業の100倍以上の力を発揮する。

    • ユニフォームを着た何万、何十万の労働者がユニフォームな製品を制作する。

    • 製品には微少進歩がかたつむりの歩む速度で積み重ねられていく

  2. これに対し、21世紀(草原での生活)の企業は以下のようになるでしょう。
        
    • 数十名の精鋭から成る企業が数万名の企業を上まわる働きをする可能性が十分にある。
    • 個々のユーザにきめ細かく対応しうるノンユニフォームな個性的な製品を創出する。
 上記によって大量の採用よりも少数精鋭の新入社員を歓迎するという姿勢が強まったのです。そしてこの傾向は今後益々強くなるでしょう。


就職氷河時代を迎えた企業と学生さん達との関係

 21世紀(草原での生活)は微少進歩型の時代では全くありません。アイディア飛躍の時代です。歴史を鳥瞰する姿勢がここでも大切です。

 21世紀は20世紀の森の中とは全く違います。21世紀草原の世界はドッグイヤー(時計の針が、7倍の速度で回るスピードで時を刻む)で進みます。

 前述したような20世紀企業での1年に近い研修は21世紀企業では7年に及ぶ研修期間という感じになります。これでは終わった頃には世の中が変わってしまいます。

 従ってせいぜい1、2ヶ月の研修期間しか設けられないとう状況になっているのです。このため,企業の態度は一変しました。一変しなければならなかった理由が,企業にもあったのです。

 態度を急変しなければならない会社の姿勢は以下のようでしょう。

♪♪♪♪コーヒーブレイク♪♪♪♪
・・・・海外の大学生の実力って、本当に凄いの?・・・・


 大学での教え子だった人達が、お正月、ゴールデンウィークそしてお盆休みなどに数名〜十名ぐらいのグループで毎年訪ねてくれています。

 二、三年前のことだったでしょうか。10名ぐらいのグループで我が家を訪ねてくれたことがありました。このときに交わされたA君とB君の会話が今も私の頭の中に鮮明に残っています。

A君 「B君ね。君の勤めている会社、去年採用した新入社員の半数以上が海外大学の卒業生って聞いたけれど、それ本当?」

B君 「本当だよ。で、何かいけないことをしたって言うの?」

A君 「いけないことではないけれど、日本の会社として社会的責任を果たしていないんじゃないかな?!」

B君 「うーん。……でもね。私のところで働いている東ヨーロッパの大学を出たC君、凄く仕事が早いんだよね」

A君 「どういうこと? それ」

B君 「有名な日本の甲大学を優秀な成績で卒業したD君が半年かかってやっと仕上げるような仕事を、C君はたった一ヶ月でやってしまうぐらいの力を持っているんだよ……」

A君 「(しーん)」

B君 「それに会社としても東ヨーロッパでの人脈づくりに、少しは役立つと期待しているんじゃないかな」

A君 「(しーん)」

B君 「D君も努力して、せめて2ヶ月ぐらいで完成させる力をつけてくれればね。それに語学力やコミュニケーション能力の点でも負けないように努力してくれないと…………」



 以上のような会話だったと思います。A君が10人のうちの誰であったかは忘れましたが、B君の申し訳なさそうな顔が今も目に浮かびます。



 私は若い頃、“頭脳流出組(注1)”の一人としてO大学を休職し、米国のベル電話研究所に勤務していました。このときやはり頭脳流出組の一人であった乙社(日本を代表する電気系企業の一つ)のK博士(後ほど乙社の社長となられた)とのコーヒーブレイクでのお話を私は未だに鮮明に覚えています。

 K博士は私が大学院学生であった頃からの知友でありましたし、研究所内で唯一の日本語を話せる相手でもありましたので、いつも午後3時頃、コーヒーを飲みながら思い切り日本語をしゃべって英語漬けのストレスを解消していました。ある日の会話です。

K博士 「アメリカの大学の卒業生って凄いね! 10年前に大学で習っていたことをまるで今日習ったことのように説明するね! 凄いよ!本当に」

「そのこと、私も日頃感じていますよ。私なんか大学時代、例えば電気磁気学T、電気磁気学Uを一年間受講し、それぞれについて単位をとりました。大学院入試では「電気磁気学」を選択し、さらに大学院時代は「電気磁気学特論」まで習い、単位をとりましたが、今はすっかり忘れてしまっています」

K博士 「私はT大学電気工学科で学んだのですが、クラスのトップの方は大学院に進みました。残念なことに私はクラスで2番だったので、今の乙社に就職することを決めたのですよ。学生時代かなり勉強したんだけれど、習ったことに関しては笠原さんと同じようなレベルかな(笑)」

「(笑)」

K博士 「どうしてこんなことになるのかな……」

「(ベル研究所内の親友の一人である)S君から聞いた話ですが、例えば大学1年次のときは午前中に教授あるいは助教授の講義を受講し、午後は午前中に学習した内容について大学院博士課程の学生さん達に徹底的に鍛えられるとうことですよ。何でも3当4落(あるいは4当5落?)つまり4、5時間も寝ていては大学は卒業できないという程時間を惜しんで勉強するみたいですね。私の場合は、“半日”当“一日”落だったかも知れません(笑)」



 私たちの会話はコーヒーがすっかり冷めてしまうほど続いたと思います。

※注1:
  大学あるいは企業から、海外の大学、企業に国費あるいは所属大学の研修費、あるいは企業の全額負担で派遣される“海外研修組”に対し、給料、渡航費などの一切を海外の相手大学、海外の相手企業が負担する“頭脳流出組”があります。
 後者の場合、一方的に相手国に貢献するばかりではなく、自らも腕を磨き経験を積んで帰国し、本国に貢献するという“mutual benefit(相互の利益)”が謳われていることが多いと思います。


企業と学生さんの関係、その2

 “企業と学生さんの関係、その1”でお話した企業は、就職天国時代に毎年大量に大学卒業生を採用するいわば産業社会型大企業と言ってよいでしょう。こういった企業に就職する学生さんは殆どの場合、就職活動はいわば大学任せだったのです。就職希望のA君と就職担当の先生との会話は例えば以下のような感じだったでしょう。

A君: 「先生、私は甲社に絶対に就職したいです。父も甲社で仕事をしていますし・・・」

先生: 「うーん。でも甲社の希望採用人数が3名に対し、今、君を入れて5名甲社を希望しているんだ。こうなると成績順で決めるしかないんだけれど、君の場合は3年間に取得した単位の平均点が少し足りないんだよね。申し訳ないけれど」

A君: 「(しーん)」

先生: 「それよりも君、乙社はどうかな。甲社と比べて将来性では負けていないと思うけれど・・・乙社なら今すぐにでも推薦書を書きますよ」

A君: 「分かりました・・・。父ともよく相談し、明日回答します」



 一見不合理にも見えますけれど、倒産するといった事態も考えると一社に卒業生を集中させるよりも、なるべく沢山の企業に卒業生を送り込み、危険分散をしたいという、ある程度納得のできる理由もあったのです。

 全国的に見て、あるいは企業の立場から見て“一流”と位置付けられている大学では就職担当の先生方は概ね(おおむね)このような姿勢で就職担当の仕事をされていたことでしょう。

 こういった大学は就職天国時代にもとにかく学生を推薦してくれた“有難い大学”だったでしょう。従ってこれらの企業は就職氷河期時代が到来しても、少なくとも1〜2名は採用しつづけ、大学との有難い関係は将来のことも考えて続けていきたいという姿勢につながっていることでしょう。

 企業にとっての“有難い大学”では学生の自由応募を認めるとともに(講義、ゼミなどを休んでも就職活動であれば基本的には出席扱いとする、あるいはレポート提出を義務づけるといった形での承認)、自由応募で不調な学生については大学推薦で救うという選択もできるようになっているでしょう。

 このため就職氷河期時代が到来しても、過去の歴史、その経緯などは一切顧みないで、

 “私どもの大学学部、あるいは学科)では“就職氷河期”というのはそれほど厳しくは感じていません。有難いことですが・・・”

と誇らしげなあるいは申し訳なさそうな顔をしての発言ということになるでしょう。

 大学レジャーランド化に結果的に大いに荷担していた且つての企業にとっての“有難い大学”と新設の大学或いは新設の学部をもつ大学との間では就職氷河期の問題を考えるのに大きな温度差ができています。
 このためこの問題を我が国の全大学の問題と考え、一致団結して苦難に直面する若い学生たちを救済するため、全ての大学の先生方が努力し解決するという動きが決して起こってこない大きな理由になっているのではないでしょうか。
 私の知る限りでは全くこのような動きはないように思います。



 大学レジャーランド化にどこの大学が荷担したのか(あるいは放置しつづけたのか)、就職天国時代の負の遺産として残されているレジャーランド化大学で苦闘する大学生そして先生方達の苦労を全ての大学が考える必要があるでしょう。就職天国時代の大学の実態を全ての大学が歴史的視野に立って顧み、

  • 国に任さず
  • 行政に頼らず
  • 有職者たちの改革案を待たずに
 今すぐ行動することによって就職氷河期を真に脱出することができるでしょう。そしてまた、このような努力の積み重ねによって、将来の我が国の将来の経済状況にも振り回されることのない新しい健全そして創造的な大学に全国の大学が生まれ変わることができるでしょう。

 企業と学生さんの間にあるべき新しい理想的な関係を求めて私達は努力しなければならないと思います。





 企業は大学の先生方に対する研究支援という立場あるいは産学共同研究推進という立場から、奨学寄付金を大学に拠金します。このお金は大学事務局の管理のもとに
等々に公費と同様の手続きによって使用することができます。

 国あるいは自治体からの大学予算は非常に少ないために、大学院学生、学部学生さん達を沢山に指導している先生方には非常に有難い申し出なのです。

 就職天国の時代は企業からの奨学寄与金の申し出が沢山にあったことでしょう。これらのお金は企業側から見ると大学の先生方の研究支援が表向きの理由ではあったでしょうけれど、実態は“大学生さん欲しさ”が大きなモチベーションであったと思います。

 就職天国時代にあった“夜の接待”、“接待ゴルフ”が、バブル崩壊、就職氷河期到来によって全国ほとんど一瞬にして消えてしまったことは疑う余地がないでしょう。




 就職天国時代には学生さんと大学の先生との間は以下のような状況に置かれていたと言えるでしょう。そして現在もこの態勢は全く変わっていないでしょう。


学生さんの立場※注1
  • 必ずしも学業に専念しなくても、とにかく卒業単位さえ取得すれば、ほぼ希望の企業に就職できると考える。

  • 大学で学習していることが就職後において役立つ内容であるという確信が得られない。必要なのはそのような知識を修得することより、卒業に必要な単位を取得することであると考える。成績もA、B、Cのうち最低評価であるCであってもよいと考える



大学教職員の立場
  • 大学側としては単位を取得できずに退学する学生をできる限り少なくしたい(退学者を多くすると大学の評価を落とすこととなる)と考える。

  • 所定の単位を取得できなかった留年生をつくると、結果的に受講生が多数となって部屋の確保が難しくなり講義の実施が困難となる。このためどのようなレベルの学生であっても評価Cでとにかく単位を与えたい留年させたくないと考える。


※注1:例外の学生さん達が沢山いらっしゃることは、十分に承知していることをここでも強調しておきたいと思います。





大学・教職員の立場

 筆記試験を実施した場合、学業に専念している学生は80〜100点という高得点をとる。これに対し、最低限のC評価でも満足する学生は0〜20点という非常に低い点をとる。これではCという評価すら与えることができず、D(不合格)とせざるを得ない。
 このため筆記試験よりもレポート試験を優先したいと考える。

 レポートはとにかく提出さえすれば内容が例え丸写しであっても、とにかくレポートを出すという努力をしているのであるから、そして例え丸写しであっても少しは知識を身に付けたであろうと考えてC評価で単位を与えることができると結論する。




学生の立場

 筆記試験の緊張感から解放されて、レポートを書く方が精神的に楽である。ネットにある記事のコピー&ペースト、友人のレポートのほぼ完全な丸写しであっても単位は取得できる。講義によっては出席さえしていればレポート提出がなくてもCがもらえる場合もあるので、これにレポート提出が加わると最低でもBとなるので非常に有難いことと考える。



※注1:米国の場合は完全な丸写しは大学院学生の場合は即退学処分とする。学部学生の場合は、初回は許すものの2回目は即退学処分とする。これは米国の大学の先生から伺った話です。厳しいですね!!


♪♪♪♪コーヒーブレイク♪♪♪♪

 先生方、学生さんにとってちょっぴり苦いお話でしたね。
 私は生涯、“レポート試験猛反対”の姿勢を貫いていました。因みに私の学生時代は専門科目と外国語は100パーセント筆記試験でした。唯一、「西洋史」がレポート試験で、あとは全て110分〜120分の筆記試験でした。



 15年ぐらい前のことだったでしょう。前期試験中に大型台風が襲来しました。このときレポート試験を実施していた半数の科目は影響ゼロでしたが、残る半数の筆記試験科目のうち数科目が実施できませんでした。私の科目はそのうちの一つになってしまったのです!!

 大学当局は筆記試験は講義日時ならびに試験場の確保が困難であることから、レポート試験を実施するよう強く求めてきました。

 私はこのため止むを得ずレポート課題を出し、提出期限を可能な限り遅くということで一週間後としました。受験者数が約20名(クラスの約90パーセント)でしたので受理したレポートを即日採点し、成績を無事教務に提出しました。

 さて、それから三日後のお話です。

Aさん 「先生!私の点どうしてBですか?」

「ちょっと待ってね。もう一度あなたのレポートを見てみるから」

Aさん 「(いらいら、いらいら)」

「うーん、この内容だとBだね」

Aさん 「どうしてですか。だって私のレポートをほとんど丸写しで提出したD君、成績Aですよ!」

「なんだって!レポートを見せたって!丸写しだって!それカンニングだよ。あなたもD君も単位取り消しですよ!」



 彼女は一言も言葉を返さず、部屋の扉を思い切り強くたたきつけて閉めたのでしょう。
“バターン!!”と言う大音響を残して立ち去って行きました。

♪♪♪♪♪♪♪♪





 家族の皆さんと大学生さんの関係をアンケートなどで詳しく調査したわけではありませんので、いきなりですが、このお話はコーヒーを飲みながらのお話と致しましょう。


♪♪♪♪コーヒーブレイク♪♪♪♪

 高齢の母が入院したときのお話です。病院の要望で、私が一晩付き添うこととなりました。

 11時頃、もう休もうかと手洗いに行ったのですが、学生風の人がソファに座って勉強しているではありませんか。先生稼業の私のことですから、思わずその方に声をかけました。以下はその会話です。

「君、どうしてこんな所で勉強しているの?」

学生さん 「明日から前期試験なんですよ。必須の科目なんで必死ですよ(笑)」

「じゃ、どうしてこんな病院で勉強?」

学生さん 「母が交通事故で入院したんですよ。家族の誰かが付き添う必要があるのですよ」

「でも君、明日テストでしょ。お父さんにどうして来ていただかないの?」

学生さん 「父は、明日仕事があるのです」

「じゃ、ご兄弟は?」

学生さん 「弟は大学入試の準備で大変なんですよ」

「でもまだ7月でしょ。入試まで十分時間があるじゃないの?」

学生さん 「父が、“時間的余裕があるお前がいけ”と言うのですよ。嫁いだ姉も二人の小さな子をかかえて大変なので私に、“行ってほしい”と言うのですよ」

「シーン」



 こんな会話だったと思います。



 私の大学研究室を訪ねてきた母親との会話です。

母親 「先生、息子にアルバイトするようにすすめて下さい」

「えっ!それ真面目な話ですか?坊ちゃん成績もよく、明るい性格で言うことなしではありませんか。このままで勉強に専念してもらっても良いのではありませんか。」

母親 「私の友人の息子さん、娘さん達、皆(みんな)アルバイトをしてますよ。そのお金で海外旅行をしたり、趣味を追及したり学業以外に社会経験を積んでいますよ。アルバイトで人間的な幅も広がると思いますよ。就職にも有利になるのではありませんか。」

「うーん(・・・と押され気味)」



 この日、私はテーマ3のコーヒーブレイクで登場していただいたK君の例をたんたんと語りました。何とか納得していただいたかなと思いました。なお、蛇足で付け加えさせていただくと、アルバイトに忙殺されて学業をおろそかにしている学生さんをみると私はこの母親の場合と同様、K君の例を紹介して“ほどほどに”と強く説得します。
 しかし、親の収入が少なく

 “・授業料、図書などの購入費
  ・衣食住費

を全て自分自身で稼ぐようにと親に説得されていますから”
という返事の一言で何も言えなくなってしまうのです。

♪♪♪♪♪♪♪♪




 一般市民の皆さんは大学生さんをどのような目で見ていらっしゃるのでしょうか。残念ながら、私はこのことについてはほとんど知り得ていないでしょう。何とかしてと、ネットでいろいろ探してみましたけれど、確かな知識は全く得られませんでした。

 しかし、よくよく考えてみますと、本ホームページのサブタイトルは
 “大学生さんたちが大きく、おーきく羽ばたくために” でしたよね。実はこのことをしっかり実現するためには以下の姿勢が大切であると思います。

 小学生〜高校生を含む一般市民と大学生の関係、つまり一般市民の大学生を見る目はどうなっているのでしょうか。この現状を正しく知ることこそが、大学教育改革のまずは第一歩、最も大切なこと、基本の中の基本と私は確信しています。



 一般市民の方々はスーパーの手伝いをしている学生さん達、レストランでかいがいしく働いているパートの学生さん達を日常目にしているために“大学受験生さん達に比べると遥かに、時間的余裕のある人達”というふうにとらえているのではないかと私は想像します。

 私の学生時代には週1〜2回、2時間程度の家庭教師をするというのが学生アルバイトの代表でした。私もこのペースで家庭教師をしていました。ファミリーレストラン、あるいはスーパーマーケットといったものはなく、個人経営の商店あるいは食堂がほとんど100パーセントでした。
 従って大学生さん達が簡単な仕事は別にして勉強以外のことを一生懸命やっているといった姿は殆ど目にしなかったでしょう。


♪♪♪♪コーヒーブレイク♪♪♪♪

---家事で忙しかった半世紀以上前の私---


 小学生や中学生も家族の一員としてお店を手伝うということは当時は当たり前のことだったと思い出されます。私も母に言われると市場(いちば。公設市場(こうせついちば)と呼ばれていました。個人経営のお店が一カ所に集っている所と考えていただいてよいでしょう)に買い物袋を持って一人で出かけ、果物やお肉を買いに行っていました。小学校五、六年生の頃のことです。

 勿論、買物だけでなく、薪割りをして、その薪を使ってお風呂を沸かしました。冬季には温かい井戸水をバケツで運んで、今日でいう省エネをしました。

 “あぁ、何もかも手作りのお風呂は本当にあったかい!”

 こんな風に思って温泉気分で私は入っていたかも知れませんね。(※注1)

   近所の子供達も同じような状況だったでしょう。何しろ親孝行が最も大切なことの一つと当時は教えられていましたから。

 “しば刈り、縄ない、わらじを作り
   親の手助け、弟を世話し、
  兄弟仲良く孝行をつくす、
   手本は二宮金次郎”

といった唱歌を皆で口ずさんでいた時代でした。親孝行は当たり前のことであり、受験戦争そしてその戦士を猛烈に鍛える学習塾も全くなかったのです。
 子供たちにとって毎日一時間弱の予習、復習の勉強、外でのお友達との遊びとともに、お手伝いは大切な日課の一つでした。

※注1:冬季には私の家ではお風呂は三日か四日に一度だけであったことを付け加えておきましょう。後は銭湯、隣家のお風呂です。
 銭湯に出かける場合には、近所の仲間達にも声をかけました。金盥(かなだらい)に石けんとタオルなどを入れて、わいわいしゃべりながら・・・。
 子供らが誘いあってお風呂に行く、何かほほえましい光景ですね。



 私は小学生の頃、京都の下鴨に住んでいましたが、隣家にはいつもK大学或いはD大学の学生さんが下宿していました。学生さん達は家族同様の扱いを受け、食事も隣家の皆さんと一緒にしていました。
 隣家には一年下の遊び仲間のN君がいましたので私も家族同様の待遇を受けて、夕食を伴にし、お風呂もN君と一緒に入って帰宅(といっても二十歩足らずの距離ですが)していました。
 このような生活は、中学校に入ってからの友人であるN君、F君、I君、H君とも全く同じであったと思います。


♪♪♪♪クッキーブレイクです♪♪♪♪


 20世紀、映画芸術の最高峰に位置した天才、それはチャップリンだったでしょう、チャップリンは寄席芸人の子としてロンドンに生まれましたが、若い頃夢を抱いて米国に渡り、映画の世界に入りました。映画の脚本を書き、監督を務め、そして自らも出演したほか、数々の映画音楽、名曲を生み出した映画界万能の天才でした。

 チャップリンは子供の頃、父は離婚で家を去り、母一人で育てられました。チャップリンは母の愛情を一身に受けて育てられたのです。彼の自伝(※注1)によれば、友人ウォリイといつも暗くなるまで遊び、お茶をよばれ、夕食をともにすることがたびたびであったと回顧しています。

 1900年頃、つまり今から110年も前のロンドンではこんな風景はきっと珍しくなかったでしょう。我が国でも半世紀前頃は私と同じようにして友達と遊び食事をともにしていた子供達が沢山にいたでしょう。

 親、兄弟だけでなく、隣家の家族と一緒に夕食の会話の中に入る。学校の勉強では学べない何かを私は学んでいたと思います。

※1中野好夫訳:『チャップリン自伝』新潮文庫(1986)


♪♪♪♪♪♪♪♪



 下宿の大学生さん達、あるいは友人の大学生のお兄さん、お姉さんを見る限り“いつも机に向って勉強している”という印象だったと思います。
 スーパーもなく、チェーンレストランもありませんでしたし、個人経営のお店は家族全員で商いをするというわけですから、当時の大学生さん達のアルバイト先は家庭教師だけだったでしょう。
 ですからその関係の仕事をしていたとしても私には“大学の勉強をしている。いつも机に向って熱心に勉強している”という印象を受けていたのかも知れません。
 この状況は大型スーパー、各種チェーン店が全国に登場する1980年頃までは変わらなかったでしょう。


大学生さんを見る目の変遷



 上図を見ると昔に比べ、時代の流れだったでしょう。20世紀型マスプロダクション賛美の姿勢などによって、大学生さんの在り方そして大学生を見る社会の目がすっかり変わってしまっていることに気づくでしょう。

 この大きな変化に対して大学は、時代の流れを歴史的視野に立って鳥観し、将来の大学の在り方を必死に考えるべきだったのです。

 しかし、大学はむしろこの流れに積極的に荷担したのではないでしょうか。

 キャンパス内の運動場を次々に犠牲にして、建物を増設しマスプロダクション教育の道を走りました。因みにこの頃より、非常に重要な科目であったはずの体育(実技)を必須から外し始めたのです。

 運動場を犠牲にして建物を立てたことにより、教育の三本柱(注1)、智育、徳育、体育の一つである体育は消滅の方向へと進みました。
 智育は、これら三本柱の中では最もマスプロダクションに適合しますよね。
 数百名〜千名の大講義場で、講義というよりは“講演”のような授業を、一日に二、三回各90分という世界的にも稀な長時間の講義を耐え抜き、無味乾燥な一日を過ごした大学生さんが(気分転換という意味もあったでしょう)アルバイトに走り、学外での楽しい居場所を見つけ、大学の単位はレポート丸写し、代理出席(出席者が代返または代筆をする)によって取得する。こんな風になったのです。

 そして、この傾向は就職天国時代も現時点での就職氷河期時代も全く変わっていないのです。

 1980年代頃から我が国は未曽有の経済的発展を遂げました。そしてこの発展と歩調を合わせるように世の中全体がマスプロダクションの方向へと進みました。そしてまた大学もこのマスプロダクションの流れに乗ったのです。

 数百名前後の受講生を対象にした講義科目の成績評価は、次のいずれかによるのではと思われます。

 21世紀サイバー社会(ネット社会)の幕明けとともに全く新しいタイプの企業、新しいタイプのビジネスが続々登場しています。ソフトウェアを武器とする企業は

を朝令暮改ならぬ朝に製品発表夕べに改善発表といったハイペースでユーザーの心をつかんでいますよね。

 就職天国時代に急速に進んだ大学のレジャーランド化、マスプロダクションの流れをそのまま受けついだマスプロダクション教育の流れの中で、元通りにすることもできず立ち往生している大学の現状。これをどうすればよいのでしょうか。

 私はその答は唯一以下のことであると強く確信します。



 “技術史を正しく理解し、深く理解し、将来の方向を正しく予測する”

 こんな姿勢を全く欠いたまま、マスプロダクション化の姿勢を、そのまま直輸入的に大学教育に持ち込んだ当時の大学教育関係者の責任はどうなるのでしょう。

 そしてまたこのような流れの中で、何十年もの間企業接待ゴルフなどに夢中になって、教育をすっかり忘れていた先生方の責任はどうなるのでしょう。

本章のテーマ
“大学生の就職氷河期は誰が招いたのか”

 の答えは殆ど自明のことかと思います。

TOPページへ   次章へ