第6章 大学改革、教育改革、
     私達はどう動けばよいのでしょう

 大学教育、そして我が国教育環境の現状を抜本的に改革するために、私達はどう努力すればよいでしょうか。ここではこのことを幾つかの切り口から考えてみたいと思います。



 “プロ中のプロ”私の好きな言葉です。
 私の記憶に誤りがなければ、今から10年ぐらい前の2000年の頃、ある自動車メーカの社長さんが“私が言うプロ中のプロとは会社が不況で倒産したり、あるいはリストラの憂き目にあった時にでも、他社で直ぐ働き場所を見つけることができる人”という内容の発言をされているのを見聞きしたことがありました。

 “プロ中のプロ”、いい言葉ですよね。私も“そうならねばならない”と心懸け、努力しています。私は、この言葉は職業に全く関係がない言葉だと思います。
 自分のやっている仕事を一番楽しいと心の底から感じることができる。これこそが“プロ中のプロ”となるための極意でしょう。職業には関係がない言葉だと思います。


10年前のお話です


 さて、今からやはり10年ぐらい前のことですが、総務省行政管理局関連の団体「セキュアな電子政府を推進する会」が主催する「地方自治体向け情報セキュリティセミナー」が総務省後援のもとに、全国6ブロックで開催されました。
 近畿ブロックにおけるセミナーは2003年9月に大阪国際会議場で開催されました。

 このセミナーには近畿全域から、各市町村の情報関係の課長さん、主任、係長さん達が広い会場が満席になるほど多数参加されました。

 私はこのセミナーの「基調講演」をさせていただいたのでしたが、まず最初に会場の皆さんに以下の2枚のスライドをお見せして、“2003年の今、私達は重大な歴史的転換時期を迎えていること”を強く訴えました。



 私が、会場の皆さんにたっぷり時間をかけて、この二枚のスライドをお見せしたのは21世紀が幕開いた2003年という時期に、現状を正しく認識する姿勢こそが、物事を進める上での基本の中の基本姿勢であること、さらに「情報セキュリティ技術」という21世紀社会の命運の鍵を握っているような大きな技術に対処するためには、この姿勢が輪をかけて大切な姿勢であることを強調したかったからです。

 つぎに私が主張したかったことは“各職場にプロ中のプロを!”ということでした。以下の2枚のスライドを見ていただきましょう。






8年前のお話です


 今から8年ほど前の2005年に開催された、「関東IT推進NPO連絡協議会」平成17年度総会で私は基調講演をさせていただきました。このときの私の講演テーマは、以下のようでした。

 「情報社会の人の道」
〜IT技術を人類社会の役立てるために、
そして我が国を発展させるために〜


でした。

 この講演で参加者の皆さんに最初に見せたスライドを以下に示しましょう。



 このことを2005年に強く主張したのでしたが、我が国の当時の状況は、この普段着の哲学をちょうどひっくり返したような状況でした。

 つまり囲い込みYes、合従連衡No、頂点安住アウトソーシング依存型構造Yes・・・。つまり森の世界(産業社会型)での生活を延々として続けそうな状況にあることを私は非常に危惧したのでした。

 こんな危惧は私一人の考えではありません。私のまわりの若い世代でもこんな考えであったことをコーヒーブレイクでお話しましょう。

 この全員プロフェッショナル型構造こそ、大学教育改革をスムーズに進めるための必須条件でしょう。なかんずく文部科学省にはこのことが望まれるでしょう。

 ひょっとすると現状は全くこの逆、全員アマチュア型構造になっているのでは?という危惧を、私は完全には払拭できないのです。

 急速に発展するという普通の表現では十分でないほどの勢いで日夜変貌を続ける21世紀サイバー社会において、旧態依然とした我が国行政システムで十分に対処できるだろうかという大きな不安が2000年当時の私には強くありました。

 我が国行政組織の中に、我が国の命運を握るような厳しい国際協議の場で、実力を十分に発揮し、欧米の行政マンに伍して堂々と論戦を張ることができるプロ中のプロというべき行政マンは、十分な数、いらっしゃるのでしょうか。私は心配でした。

 欧米そして新興アジア諸国の行政マンに一歩ひけをとらない行政マンの存在こそが我が国に明るい将来をもたらすことができるでしょう。
 今の行政組織はこのような行政マンを多数輩出することができる仕組になっているのでしょうか。このままで進んで21世紀グローバル化の進む地球社会の中で我が国は大丈夫なのでしょうか。私は心配です。

 昨今、2013年の時点でも“行政改革!!”という言葉が、テレビや新聞で報道されていますよね。
 この“行政改革”が益々グローバル化する地球社会の中で、堂々と論戦を張ることができるプロ中のプロたる行政マンの誕生に結びつくことを祈るばかりですが、改革の中身は大丈夫なのでしょうか。私はとても心配です。

 厳しい国際間協議の場で我が国が負け組にならないためにもこのことの実現は必須のことのように思われます。

 …………あっ、すみません! だんだんお話が深刻になってきましたね!
 そこで突然ですが、コーヒーブレイクとしましょう。


♪♪♪♪コーヒーブレイク♪♪♪♪


 私は大の野球ファン、サッカーファンそして相撲ファンです。 大リーグ、プロ野球、大相撲を熱心にテレビ観戦しています。
 2013年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)でのサムライJAPAN、惜しかったですね。でも大リーガーが一人も助っ人として参加していなかったのに、実力を十分に発揮しました。とてもさわやかな印象でしたね。来年につながる戦いをしてきたと私は思います。

 さて、このWBCで、ある仮想国Z国の野球システムは大変に奇妙で、
 投手 → 捕手 → 一塁手 → 二塁手 → …… → 右翼手 → 投手
と各ポジションを1年周期でローテーションさせ、どんな名投手もあるいは将来有望な新人投手も入団1年後には必ず捕手になることが固く守られているとしましょう。

 投手の場合は特に非常に忙しく、
 先発完投→中継ぎ→締めくくり→リリーフ
と1年のシーズン内にすべて経験しなければならないとしましょう。

 そしてまた打順も投手の場合と同様に固定させることがなく
 1番→2番→3番→・・・→9番→指名打者→代打→代走
とローテーションすることが固く守られているとしましょう。

 何でもZ国の野球界では、各野手、各打順を全て経験することにより、野球選手として幅が広がる、つまり、例えば9年後に再び投手になった人は各野手の気持ち、打順ごとに変わる打者の気持ち等を十分に汲むことができて、それだけ投球術に幅ができるというのが大きな理由らしいのです。

 確かに一理ありますよね。選手が引退してやがて監督になれば全ての野手、打者の気持ちが手にとるように分かり、他国にはない名監督が輩出するに違いありません。
 他国の監督だけでなく、Z国のアマチュア球界からも引退後は是非我がチームの監督にというお声がかかり、引退選手は好条件で迎えられることとなるでしょう。野球選手にとってはいわば“天下り先”がいっぱいあるということになるでしょう。

 ……しかしこのZ国、世界の舞台WBCで戦えるでしょうか。私はZ国の代表チームではWBCでは全く戦えないのではと思います。

 “ああ、この延々と続くお話、このHPとどんな関係があるの!大学教育と全く関係がない話ではありませんか!!”
 皆様のこんなお声が、私には聞こえてきます。

 いやっ、関係があるのです!!
 100パーセントの自信では言えないことですが、厳しい国際間協議の場では2〜3年周期でお仕事をローテーションなさっている我が国行政マンチームは、Z国代表チームのような感じになるのではと思います。いわゆる学識経験者、有識者を伴って会議に向うことができるでしょうが、これでは心細いですよね。

 我が国行政マンチームはZ国代表に近いのではと心配する理由についてのお話は、二杯目のコーヒーを飲みながらとしましょう。




 私は今から20年ぐらい前、某省の機構研究顧問(初代)をさせていただいておりました。私の研究面での技術に関する知識の提供で、お国の役に立つとてもやり甲斐のある仕事でした。

 ディスカッションの相手をして下さったA課長さんは、当該技術の分野の知識を僅か2年間で深く身につけられ、私との意見交換は非常にスムーズでした。

 しかし4月初旬の頃だったでしょう。ある日突然、

 “別の部署に異動することになりましたんですよ”

とのお電話です。

 後任はBさんで、私の専門分野とは全く関係のない別な技術部門から4月1日付でAさんの後任として課長に着任されたのでした。

 4月いっぱいB課長さんとは専門分野での知識交換がスムーズにできませんでした。
 プロジェクトの遅延を恐れた私は、毎日のように移動先のA課長さんを電話に呼び出して、相談し処理を依頼しました。
 3週間ほど経ったある日、私からの電話に対して以下のようなA課長さんのご返事です。

 “先生、もう勘弁して下さい。私は新しい部署での勉強に日夜必死なんです・・・・・・”

 2〜3年周期でのローテーションは文部科学省、大学事務職員にも適用されています。これはZ国野球チームのシステムと同じ発想でしょう。
 プロ中のプロが育たないという点で物事を進めるにあたって、新しい時代に対応した大学態勢づくりに非常に不利になるのではありませんか。

 この態勢で進んでいっては本HPで訴え続けている“大学教育の悲惨な現状”を抜本的に救うことは到底無理なことでしょう。

 “授業時間2時間厳守(実態は90分)、半期15回の講義回数厳守、シラバスの一層の充実、授業評価徹底といった改革ということに関しては僅かの変化しか認められない小手先の指導しか出てこないのです。”

♪♪♪♪♪♪♪♪











 戦後、民主主義教育の推進という大義名分があったのでしょうか。昭和20年代に“徳育”は放棄されたのでした。その結果、とても残念なことですが、現状は、第5章でお話させていただいた通りとなってしまいました。

“徳育”を捨てるというのであれば、民主化が進み、マスプロダクション化が進む世の中で教育三本柱の一つである“徳育”を新しく構築するという懸命の努力が教育関係者には必要だったのではないでしょうか。

 しかし、私は歴史を鳥瞰しつつ将来の方向を考える姿勢を常に大切にしてはいますが、時計の針を昭和20年代に戻そうと主張するものでは全くありません。新しい徳育とは何か。このことについて皆さんと一緒に考えてみたいと思います。

 “ボランティア”という言葉が新聞やテレビに登場しない日がないぐらい、私達はこの言葉を日頃見聞していますよね。
 早速ですが、このボランティアについてのお話はコーヒーブレイクとして聞いていただきましょう。


♪♪♪♪コーヒーブレイク♪♪♪♪




 今年(2013年)の春、私は日頃の散歩コースを少し変えて、自宅から10分ぐらいの距離にある箕面市の勝尾寺川沿いの桜並木を訪ねました。

 満開の桜が雲一つない青空に見事にハーモニーして映え、私はそれに見とれて時が経つのも忘れていました。桜並木には数人の女性がカメラを手に桜見物をしていました。こんな時は自然に会話を交わすことになりますよね。以下はそのときの会話です。

私:  「近くの町からここまで来られたのですか」

女性達:  「いいえ、私達は「勝尾寺川ほたるの会」のメンバーです。夏は勝尾寺川のホタルを守っているのですけれど、春はこうして桜の健やかな成長を見守っています」

私:  「それはすばらしいことですね!」

女性達:  「ほら、あそこにペットボトルが投げ捨てられているでし ょ。私達会のメンバーは勝尾寺川の清掃、美化をボランティアベースでやっているのです。今日はゴミの清掃もして帰る予定なんですよ」

私:  「箕面に住んでいて、そんなお手伝いができず申し訳ない   です・・・。でも私もいつかなんかの形で協力させていただきたいです・・・」

女性達:  「期待しています!」



 以上のような会話でしたが、帰り際にこんなうれしいお話を聞かせてくれました。

 「近くの小学校の生徒さん達も授業の一環として清掃に協力してくれています。ハイカーが投げ捨てていくペットボトルの数々に胸を痛めながらも河川を少しでも自然の姿に戻そうと日頃から努力し、美しさをとり戻した自然の中で子供さん達は嬉々として跳びはねています!」

 美しい桜、そして美しい人の心。感動し、心温まる思いの散歩となりました。



 2013年3月大阪府内で防犯ボランティア活動に参加している高校生・専門学校生および大学生の皆さんが一堂に集う会「学生防犯ボランティア地域交流会」が、大阪で開催されました。

 私が勤務していた大学からは吹田市の東山田小学校区の通学路で児童達を犯罪や交通事故から守る活動を続けているラグビー部員の皆さんが参加し、日頃の活動内容の報告や課題等の発表を行ったということです。

 ラグビー部の部員さん達だけではなく、体育会系クラブ、文化系クラブの学生さん達も週一回ぐらいの割合ですが、大きなビニール袋を手にしてキャンパス内の美化運動をボランティアベースでやっています。

 タバコの吸い殻、ベンチの上に残された空の弁当箱、ペットボトル、紙コップなどを拾い集めるのですが、彼らはキャンパスを美しくする仕事は本当に楽しい仕事という感じでやってくれています。

 これを目撃した一般学生さん達の中には手伝いを申し出る学生さんもいることでしょう。・・・何よりも良いことはこんな光景を毎週一回目にする効果でしょうか。こういったゴミ類が少しずつ減っていっているように思います。全ての人が美しさへの憧れを持っているのですね!

 勿論、一般学生の皆さんも色々のボランティア活動を沢山にしていることでしょう。

 例えば私の講義をいつも最前列で熱心に聴講しているT君は東北地方の放射能汚染、津波被害の影響などで京阪神に疎開して来ている子供たちに絵本や本を読んであげる活動をしています。

 新しいタイプの“道徳”、着実に育っているのではないでしょうか。

 大学教育の中で授業の一環で全員参加型の社会奉仕といった内容を盛り込んでもよい時期ではないでしょうか。



 校長先生から部員一人ひとりが紹介された後、とても嬉しいニュースが私の耳に飛び込んで来ました。このお話を三杯目のコーヒーを飲みながら聞いていただきましょう。

 2013年4月、先程のラグビーの部員さん達が東山田小学校の全学集会に招かれました。沢山の子供さん達の前で、I選手が、ラグビー部を代表して

 “皆さん、お早うございます!皆さんも毎朝私達に大きな声であいさつして下さいね。私達と元気いっぱい挨拶をして楽しく通学しましょう!”

と語りかけました。

 ラグビー部の皆さんは、地域の皆さんと一緒に通学児童達への見守り・声がけ運動を2005年度から続けてきています。この活動は高く評価されて、2012年度「大阪府安全な町づくりボランティア団体表彰」(知事表彰)を受賞したとの嬉しいニュースです。

 児童達と声をかけあい、地域の人達と広げる挨拶文化。心温まる風景が目に浮かびますよね。
 私の知らない全国到るところで、こんな風景が沢山に見られるのではないでしょうか。

♪♪♪♪♪♪♪♪



 日頃、私達が日常生活の中で交わす“挨拶”について、以下で考えてみましょう。

 私が最後に勤務した大学では、教職員、事務職員そしてキャンパス内のお掃除をされている作業員の方々も100パーセント挨拶を交わします。
 大学を訪問してくれている人達に対してもあるいは(新しい教職員、事務職員、作業員で)初めて会う人であっても元気に、“こんにちは!”、“おはようございます!”と挨拶を交わします。

 しかし・・・、とても残念なことに幾らキャンパス内を歩き回っていても学生さん達が挨拶をしてくれることは一週間に一回〜二回といったところでしょうか。
 そこで私は挨拶文化を少しでも広めようと考え始め、数年前から私のできる範囲での努力を始めました。コーヒーを飲みながらのお話としましょう。


♪♪♪♪コーヒーブレイク♪♪♪♪


 4月はじめ、新1年生に対する最初の講義、教壇に立った私と学生諸君の会話です。

私:  「おはようございまーす!」

学生さん:  (びっくりしたような顔で)「(しーん)」

私:  「おはようございまーす!」

学生さん:  (二、三人の人達ですが)「おはようございます」

私:  「あっ、元気ないねぇ。もう一回やろうよ。おはようございまーす!」

学生さん:  (半数以上)「おはようございまーす!」

私:  「OK!よし!勉強もその調子でやりましょう!」



 こんな会話を2回目、3回目と続けますと、挨拶はすっかり板についてきます。挨拶は学生諸君との絆のはじまりです。私語があったとしても、私が「あれっ!そこの人達静かにしてくれないかな」の一言で私語を止めてくれます。

   「こらっ!」とか「静かにしなさい!」といった単に音量を上げただけの内容に伴わない注意は、生涯、私の講義には無縁でした。





 1970年代、世の中は
 小売店 → スーパーマーケット
 一戸建て在宅 → 高層マンション

というようにマスプロダクションの方向へと進み始めました。大学もまたこの流れに乗ったのです。

 運動場、テニスコートなどを潰して10階建て、20階建ての校舎を建築し、学生定員の増加をはかりました。

 高層の校舎の中には数百名単位の学生数を悠々収容できる教室が作られました。この流れの中で体育の実技講義も数百名単位の学生さんをたった一人の先生で面倒を見ることができる講義科目に姿を変えていったのです。

 この流れを支えたもの、それは国公立大学、私立大学共通に、コスト面つまり経済的に大きな効果をもたらすということだったでしょう。

 1950〜1960年代、全国殆ど全ての大学で、1年時、2年次学生に対して体育の講義が“実技”の形で実施されていました。勿論必修の科目でした。
 大学によって少しづつ異なるのでしょうが、柔道、剣道、弓道、バスケットボール、バレーボール、卓球、陸上競技などなど多彩な種目から一競技を選ぶことができました。各競技には1名の先生が10〜20名の学生を指導していました。

 私が学生時代だった頃は、私の所属する工学部は200名程度でしたから


といった条件のもとでは、8名の先生で済むということになります。

 ところが同じ大学であっても、工学部の現在の学生数は大幅に増えて1000名程度になります。このため同じ条件で実施するとすれば、以下のようになるでしょう。


といったことになるでしょう。勿論設備の使用頻度を上げる、あるいは夜間にも開講するといったこともできるでしょうが、こういった対応では新たに厄介な問題を引き起こすことになるでしょう。

 以上のように、世の中のマスプロダクションの流れに、押し流されるようにしてその実施が困難となった体育科目に対して、文部省(現在の文部科学省)は


等々の変更を認めたのです。

 どうして簡単に認めたのでしょう。当時の文部省では2年周期でのポジション交替でしたから、Z国野球チームと同じでプロ中のプロが育たないことが、(縮小または廃止が、将来、大学教育にどのような結果がもたらされるかといった将来を見すえた検討は殆どなされずに)その場間に合わせ的なそしてアマチュア的な解決策となったのではないでしょうか。

 過去の大学教育の歴史を振り返り、遠く大学教育の将来を鳥瞰するといった時間は、たった2年の持ち時間では、当然、全くないでしょう。新しい担当者は現時点だけを眺め前任者の仕事を大急ぎで勉強し、時を移さずに何らかの結果をもたらす仕事を2年以内にしなければならないでしょう。

 あぁ、この態勢で、実技科目として曾て大きな存在感を示していた“体育実技科目”は全国多くの大学で消えていったのです。

 この体育実技科目の消滅への動きは学生さんの側からは以下のような理由で歓迎路線だったでしょう。


私が体育実技科目の復活を強く希望する理由は以下のようです。


等々の数えきれないほどのメリットがあります。団体スポーツは教育上、非常に大きな効果があるのではないでしょうか。

 しかし残念なことですが、時計の針を1970年代に戻すことはできないでしょう。その大きな理由は体育実技科目の復活は、現体制では大学経営を大きく圧迫するからです

 では、どうすればよいのでしょう。このことを皆さんと一緒に考えてみたいと思います。





 教育の3本柱のうち、徳育、体育が大学教育から(一部例外はあるとしても)実体としては消滅してしまいました。

 では残る智育は大丈夫なのでしょうか。現状は以下のようでしょう。

  1. 時代の流れを全く反映させない無味乾燥な講義が多い
  2. プロジェクタを用いた動画、静止画による講義が多い
  3. 筆記試験を回避するために、レポートによって成績評価を行う
  4. 常時遅刻、早退を繰り返す学生に対し比較的寛大な先生が多い(かく申します私も遅刻者にはかなりの程度厳しく注意しますけれど入室は許しました)
  5. 私語、居眠りに対し寛大な先生が多い。(私の私語に対する対処法については、コーヒーブレイクでお教えしましょう。結構効果があります。お楽しみに!居眠りついては、
     “コンビニで深夜アルバイトをしています。学費、その他のすべてを自分でまかなっています。このアルバイトのため、ついうとうとしてしまいます”
    といったように弁解されると、なかなか注意することが難しくなります)

 それぞれについてもう少し詳しく説明させていただきましょう。

(1) について、
 教師たるもの、常に人類の歴史(500万年の歴史があります。念のため)を振り返り、現代を直視し、遠く将来を鳥瞰する姿勢が必要でしょう。
 残念なことにこのことを主張すると

 “風見鶏のような姿勢ですね”
 “時代に阿(おもね)る姿勢ですね”

といった批判が返ってきます。つまりそういった人達は

 “時代の流れに動じない泰然自若とした態度が教師には必要である”

と主張します。

 どちらの姿勢が良いのでしょう。どちらでもない中途半端な姿勢は正解でないでしょう。
 私は前者の姿勢を貫いています。

(2) について
 21世紀情報文化研究センタ(http://www.informatics-culture.net/)のサポータで本HPを手伝って下さっている若い学生さん達のご意見は

 “理解したような気分にはなるけれど身に付いていない。基本的な部分を白板でしっかり教えてほしい”

といったご意見です。

 私自身は、学会での研究発表では勿論プロジェクタを使用し、数十枚のスライドをかなりのペースで講演を聴いて下さっている皆さんにお見せします。それは相手がプロだからです。

 学生さんはいわばアマチュア、実力をしっかりつけてもらうことが第一目標です。プロ相手の学会講演形式をそのまま教室に持ち込むことに私は反対です。

 先生の側からは動画像あるいはスライドを次々に見せている講義にすると、白板に書きまくり、学生の理解度を確かめるために歩きまわるという忙しい作業、いわば肉体労働からは解放されます。

 但し注意しなければならないことは白板に書きまくる講義は百名程の受講生数が限界です。

 数百名の大教室となると大型スクリーンを用いたその道のプロを相手とする学会講演方式にせざるを得なくなるでしょう。
 周りは映画館のようにうす暗い大教室の中で、一定速度で写し出される大型スクリーン上の画面を90分間視聴する学生さん達にはかなりの忍耐が要求されるでしょう。

 結論として、


(3)〜(5)について
 この項に関しては以前にお話させていただいた内容と大きく  重複しますのでここでは省略させていただいて、お待たせしました。コーヒーブレイクとしましょう。


♪♪♪♪コーヒーブレイク♪♪♪♪
---“私語撃退法”---


 新1年生と初対面の日の講義です。新入の学生さん達とのお話をお聞き下さい。

(一部の)皆さん:  「(かなりの音量で)ざわざわざわ・・・」

私:  「あっ、そこに座って喋っている学生さん達。ほめてあげましょう!!」

学生さん:  「えっ!!」

私:  「私語するって友達がいるからでしょう。大学では友人を見つけることが、とっても大切なことなんだ。大学に入って、すぐ友人をつくるなんて本当にすばらしいことなんだ。だから思いっきり褒めてあげましょう!」

学生さん:  「(しーん)」

私:  「でもね。ここ教室だよね。ほかの人達一生懸命勉強しているよね。・・・だから私語はみんなが勉強していないときにしてね・・・」

私:  「そうだ、これからこうしましょう。私の講義はサッカーの試合形式でやりましょう!」

学生さん:  「えぇ!!サッカーの試合形式!?それどういうこと?」

私:  「もし私が私語を注意したら、講義時間がロスしますからロスタイム5分としましょう。2回注意したらロスタイム10分です。帰宅時間が10分遅くなるし、お昼休みも10分短くなるし、次の講義に間に合わないけど、この形式でOK!ですか。」

私語をしない学生さん達:  「OKです!」



 このやり方は、すごく効果があります。勿論私の方は静かに受講することに賛成してくれた学生さんに感謝して



 等々の授業に対する基本的姿勢を一層強くして、静かにすることの大きな効果を学生さんにしっかり理解してもらえるよう努力します。

 余談ですがサッカー選手などが力いっぱいたたかった後しばらくは静かに身体を休めるように、私も、講義終了後は、ぐったりソファに横になります。




 皆さんは大相撲の人気力士高見盛関を覚えていらっしゃいますでしょうか。

 私は講義の前には研究室(個室)でまづ四股を踏み“気合”を入れて、心の準備をします。

 そして部屋を出る直前に、あの高見盛関のように(大きな声は出しませんが)

 “えい!えい!えい!”

と小さく叫んで両手、両腕を少し上げて、力いっぱい振り下ろして気合を入れます。

 こうすることによる授業への効果は非常に大きいのです。

 “立派な講義をやるぞ!”
といった気持になります。

 “高見盛関さん!長い間、有難う!”

♪♪♪♪♪♪♪♪



あと2−3ページありますが、次回のお楽しみに。乞うご期待!




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